旧Twitterで肥大した承認欲求を削ぎ落とした10ヶ月
昨年末に、10年以上活用していたX(旧Twitter)を退会し、おおよそ10ヶ月が経過しました。
「TLが気になって気になって仕方がない!」という中毒症状のようなものは、特に起きませんでした。 またプライベートで、家族の病気などの大事が続いた影響もあり、ほとんどX(旧Twitter)を気にすることなく過ぎていきました。
退会してみて、こんなメリットとデメリットがありました。
- 時間がたっぷりできた
- 感情がフラットになった
- 自分のやるべきことに集中できるようになった
- 繋がりが途絶え、友人知人が激減した
- 友人知人との連絡が取りづらくなった
最大のメリットは、このブログで何度も取り上げた通り、自分の時間と感情を取り戻したことです。
ダラダラとTLを追いかけていた時間を使えるようになりましたし、感情が揺さぶられることも無くなりました。
これについては、このブログでも何度か取り上げましたので、今回はそれ以外で起きた変化についてご紹介します。
肥大した承認欲求を削ぎ落とす
もっとも大きかった変化は、Xをやめたことで、自分の肥大した承認欲求を削ぎ落とすことができたことです。
近年の旧Twitterは、「有益情報合戦」の渦のようになっていました。
これは、SNSによって肥大した承認欲求が、暴走しているようにも見受けられました。
いかに自分が活躍しているか、賢いか、努力家か、社交的か、変わっているか。
自己アピールの「渦」のようなタイムラインに、かなり食傷気味になっていました。
このように人の情報ばかりインプットされることで、毎日誰かと比較したり、落ち込んだり、アップダウンする感情に振り回されました。
そして、私自身もSNS上ではやたら「良いこと」を言おうとしたり、賢そうな様子を見せてみたり、驚くほど「等身大」の自分になれなくなっていきました。
張り合ったり、話を盛ったり、大げさに表現することが増え、もやついた自己欺瞞を抱えていました。
そのためこの10ヶ月は、自分の肥大した承認欲求を削ぎ落とす、絶好の機会でした。
SNS発信しないことで、誰にも見てもらえない、注目してもらえない日々を過ごすこと。
ネットでどう振る舞うかに注力するのではなく、リアルで自分が何を成し遂げるかに集中すること。
この2つによって、等身大の自分を取り戻す訓練ができました。
つながりの喪失
もう1つの大きな変化は、「つながり」の消失です。
旧Twitterを退会したことで、常につながっていたフォロワーさんたちとのコミュニケーションが、完全に途絶えてしまいました。
これは、多くの人がSNSを辞めることで最も恐るデメリットではないでしょうか。
とはいえ、そういうつながりは「遅かれ早かれ、途絶えてしまうもの」だったのだろう、とも言えます。
そもそも、そういった人たちは「友達」ではなく「旧Twitterでの知り合い」だったんですよね。
そのため、共通の世界からいなくなったら、つながりが”おしまい”となってしまうのは当然です。
何とも脆くて儚い関係ですが、今の世界のインターネット界隈は、ほとんどこの関係性で成り立っているともいえます。
だからといって「現実世界の方が素晴らしいんだ!」などと主張する気はありません。
間違いなく世界は、このようなインターネットが現実世界と一体化した、新しい世界へと進んでいくでしょうし、この世界で生きる以上、この新しい関係性からは逃れられないでしょう。
さらに今後も、変化し続けるはずです。
このつながりの喪失で実感したのは、そもそも自分は友人知人が多い人間ではないし、注目してもらうような人物でもない、「何者でもなかった」というリアルな現実です。
このように本来の自分に戻ることで、誰かと比較したり、自己欺瞞な行動をやめることができました。
もちろん、つながりを失った寂しさや悲しさはあるのですが、人生に必要な人とは、不思議とご縁が繋がるものだということも、この10ヶ月で理解することができました。
テクノロジーとの付き合い方は、自分次第
このように旧Twitterを辞めたことで、自分自身が大きく変化しました。
ここ10年ほどで、風船のように大きく膨らみすぎていた自分が、この1年で大きく縮んでギュッと凝縮されて、硬くて小さな自分になったようなイメージです。
このブログで繰り返していますが、SNSは非常に素晴らしいツールです。物事には必ずメリットデメリットがありますので、自分が使うかどうか、どうやって使うかは個人の判断によるものです。
ただ私たち人間は、このようなテクノロジーと付き合い始めたばかりの黎明期に生きています。
ここから何を学び、何を選択するかが、非常に重要な時代になっていきます。
私は旧Twitterの成功、失敗体験を通して、多くのことを学ぶことができました。
それは自分自身の10年以上の使用経験を経て、ようやく得られたものです。
今後も新しい技術が生活に組み込まれていくたびに、何かを学んでいくのでしょう。
あらゆるテクノロジーが跋扈する時代で大切なのは、歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ教授が著書で仰る通り「テクノロジーが私たちをどうするかではなく、私たちはどうありたいか」なのだと思います。
そのことを忘れずに、自分自身で経験し、自分の頭で深く考えながら、デジタルツールと付き合っていこうと思います。