「普通」から抜け出した40代へ

「普通」から抜け出した40代へ

40歳になりました!

「不惑」の年でもある40歳。
この表現通り、やっと自分のことが見えてくる年齢だなあと感じています。

今はフリーランスとして働き、子供の頃から大好きなイラストレーションを、自分の仕事にすることができています。

ですが、30代半ばまでの自分は、とにかく「普通」になりたくて、もがき続けた時でした。

今のようなマイノリティな生き方ではなく、マジョリティな生き方にひたすら憧れて、必死にあがいてきたのが、私の30代の半分でした。


「普通」になれず、違和感を感じた子供時代

思い返すと、昔から私は、大多数の人が好きなこと、興味を持つことから外れていました。

子供の頃は、クラスメイトの大半が好きだったテレビや芸能人にさっぱり興味が湧かず、ほとんど見ていませんでした。(あまりに見なかったので、家族にテレビ見ろ!と怒られたことすらあります…。)

そんな状態のため、友達たちの話には、ほとんどついていけませんでした。

学生時代は、たいてい同性の友人はアイドルや恋愛話に夢中でしたが、これまたさっぱり興味が湧かず。

とはいえ、そこそこ処世術があった私は「みんなが好きなもの」が好きなふりをしたり、話を合わせるなどして、上手くやっていたと思います。

ですが、この体験によって、心の中で「自分は普通じゃないんだ。みんなに普通にあるものが、欠落してるんだ。」という自己否定感を、ジワジワと育てることになりました。


真っ暗闇だった20代後半〜30代突入

そんな風に切り抜けていた子供〜学生時代でしたが、20代後半から30代前半にぶち当たった壁は、人生最大のものでした。

・女性は早く結婚して、仕事を辞めるべき。
・母親になるのは、女性の一番の「女性の幸せ」。
・女性は男性並みに仕事をするものではない。男性のサポートを、愛想よく明るくしてほしい。

このようなことを、周囲から頻繁に言われるようになったのです。

現在なら、このような発言はセクハラと評されますが、今から10年以上前の時代。
ごく一般的に、罷り通っていました。

社内も、この価値観に同調する人が大半でした。
同性の社員は「早く仕事辞めたい!」と言い、仕事への興味は、ほとんどありませんでした。

ここで「そんな価値観、お断り!」と拒否するくらいの強さがあればよかったのですが、当時の私は、前述のように自分に対して「普通ではない欠陥人間」という認識があり、自己肯定感も低い状態でした。

「おかしいって感じてるのは、私だけなんだ。やっぱり私は普通じゃないんだな。」

こんな風に、子供の頃と同じように自己否定感を強化してしまい。周囲の期待通りに振舞おうと、努力し始めました。

身内から「良い年齢なんだから、早く結婚しろ」を言われればお見合いをしましたし、親戚の紹介で、様々な人とお会いしました。

とはいえ、ここでも求められるのが「女性の役割」
会社でも家庭でも、期待されるのはそればかり。
いわゆる「普通」の女性として生きること。

自分がどれだけ頑張っても、「人間という生物の雌(メス)」としか見なされないことに、次第に絶望感が湧いてきました。

そんな状況ですので、当時は本当に心身が不安定で、真っ暗な気持ちでした。

このまま周囲の期待通り「自分のやりたくないこと」をやり続けるくらいなら、長く生きなくてもいいんじゃないの?と思うくらい、追い詰められていました。
一人暮らしをしていた土日は、終日ベッドから起き上がれないことも増えました。

当時のノートブックには、異様に多い「頑張る!」という文字と同じくらい、「消えたい」「死にたい」という物騒なワードが並んでいて、当時の絶望感がよく表れています。


人生を変えてくれた30代前半の出会い

そんな真っ暗い時機が徐々に変わり始めたのは、30代半ばでした。

日本で「フリーランス」という生き方が注目され始め、ドイツ・ベルリンで活躍する高田ゲンキさんをはじめ、フリーランスとして活躍する人たちの発信を、SNSで頻繁に目にするようになりました。

また、イラストレーターとして独立し始めた人たちとも、交流するようになりました。

ここで出会った人たちは、考え方が自由で、仕事が好きで、意欲的な人たちばかりでした。
お金の話も積極的にするし、情報交換も活発でした。

何より、あれほど絶望感を感じていた「老若男女」などのスペックは一切関係なく、実力勝負!好きなものを自由に追いかけよう!というシンプルな世界でもありました。

当時は、上記のような危機的な状況でしたので「このまま死んだように生き続けるくらいなら、お金がなくなって、のたれ死ぬ方がマシだろう。死ぬ前に、イラストだけ描いて生きてみたい!」という、強い思いが湧いてきました。

とはいえ、当初は独立してやっていくだけの自信は、ありませんでした。
ですが、ゲンキさんやフリーランスの人たちと話すうちに、独立前に具体的な計画を立てること、自分の頭で考えて動くことの大切さを知りました。

不思議なもので、人生の転機となった当時は、必要な出会いや情報が、どんどん流れ込んできました。
徐々に具体的な計画と意思が固まり、祖父の急逝も背中を押して、独立に至りました。


迷いのない状態は、力がある

独立してからの5年間は、あっという間でした。

私が独立したのは35歳の時でしたが、繁忙期が忙しすぎてダウンしたこともあれば、仕事が減ってしまい、胃をキリキリさせながら闇雲に動いたこともありました。

ですが、そのどれもが、本当に楽しかったのです!
当時、やっと私は自分が本当にやりたかったことができている!という強い思いがあり、何事にも「迷い」がありませんでした。

もちろん、仕事のやり方はまだまだ試行錯誤でしたし、失敗の連続でした。

ですが、例えお金がなくなっても、失敗して信頼を失ってしまっても、全部自分が考えて決めてやったこと。
何もかもが、自分次第。
押し付けられる価値観は、自分の意思で拒否していい。
押し付けられる役は、受け入れない。

自分が何者かは、自分で決めていい。

私は今、人生で初めて「本当の自由」を生きているんだなあと思うと、身体のどこからかエネルギーが湧いてきました。

「迷いがない」という状態は、ここまで強くなれるのかと、自分でも感心したものでした。


「普通」は、本当にやりたいことじゃなかった

そんな風に「普通」になるためにもがき、結局なれなかった30代を振り返ると、昔必死に追いかけていた「普通」は、本当にやりたいことではありませんでした。


“たまたま”女性に生まれたからといって「結婚すべき」「家庭に入るべき」「母親になるべき」という価値観にも、ずっと違和感しかありませんでした。

それでも社会的に、組織に「やれ」と言われたから、という理由で嘘をつき続けた自分自身も、とても弱く、狭い世界の中で生きていました。
もっともっと広い視野を持つことができたら、嘘のない自分の気持ちに気づくのに、40年もかからなかったのかもしれません。

私の本音は、心身が壊れそうな、常にギリギリのところで「普通」を拒否していました。
「普通」に生きるべきか?という問いの答えは、自分の中にずっと在り続けたのだと思います。

自分が迎える40代は、決してマジョリティな生き方にはなりません。
周りを見渡してみても、現時点で、同年代で同じ生き方をしている人は、極めてマイノリティです。

ロールモデルも少なく、自分で道を模索するしかありません。

もちろん、大多数の人たちの生き方を見て「うらやましいなあ」「あの人に比べて、わたしは…」と比較して落ち込むこともあるのですが、その度に、「それって本当?」と問いかけています。

羨ましいことは、本当の本当に、自分がやりたいこと?

何よりも「本当の自分」は何て言っている?

と問いかけると、嘘のない自分の気持ちに向き合うことができます。

新しい40代がスタートしましたが、自分に嘘をつくことなく、内側から湧いてくる気持ちに、正直に生きていこうと思います!