《実録漫画》13年の会社員生活を止めてフリーランスになるまで(第2話)

《実録漫画》13年の会社員生活を止めてフリーランスになるまで(第2話)

狭い範囲の選択肢しか知らなかった学生時代

「絵を描くのが好きだから、美術の道へ進む」という方は多いと思います。

私も例に漏れず、子供の頃から絵ばかり描いていたので、自然と「将来は絵を描いて生きていきたい!」と夢見ていました。

そして絵を描く仕事となると、当時の私には「美術の先生」が最も身近でイメージしやすい職業でした。

今思うと他にも色々な職業があったのですが、当時は職業を調べようともせず、かなり狭い範囲で考えていました。

それから、美術を勉強するためにも「美術大学(美大)へ行かなければ!」と思っていました。
これまた他にも専門学校、独学などなど色々な方法があったはずですが、先生に相談しても「美術を学ぶなら、美術大学に行った方が良い」とアドバイスをくれるだけ。
やはりここでも、狭い範囲での選択肢しか持っていませんでした…。

今思うと、学生の頃に学校外の場所で、様々な仕事や勉強の方法を積極的に調べればよかったと思います。
当時の私は非常に人見知りで受動的で行動力のない学生でしたので、学校や家族から教えてもらえることだけが、ほぼ全てでした。

テレビは基本的に嫌いでしたので、情報源といえばゲームか漫画か小説のみ(笑)
何と狭っ苦しい世界で生きていたんだろう!と思います。

当時は今のようにインターネットで情報を獲得できる環境もなく、慢性的に進路の情報が不足していました。


経済面を優先して地元の大学へ

少ない選択肢の中で、あまりの経済的負担にどうしようかと悩んでいた時期、担任の先生から、運良く地元の国公立大学へ推薦していただけることとなりました。まさに「棚からぼた餅」の状況でした。

ですが当時、美大しか頭になかった私は「S大学ってどこ?」という状態でした。他の大学をまったく調べませんでしたので、当時の自分の無知さを思い出すと、穴があったら入りたいレベルです…。

漫画の通り、私が大学を決めるときに決め手となったのはこの3つでした。

  • 学費が安い
  • 実家から通える
  • 絵の勉強ができる

それほど裕福ではない萩原家にとって、美術大学の学費や県外での生活費は、かなりの負担になるものでした。

当時は親に大きな負担、迷惑をかけてまで県外の美大に進む意志も持てず、無茶を言うこともできず、まさに親の顔色を見ながら進路を決めました。

「お金かからないし、絵の勉強できるならいいか」という、何とも安易な理由で決めた道でしたが、最も心が動いたポイントは「東京に毎月行ってもいい」という母からのご褒美でした…(笑)

当時の私にとって、東京は憧れの都市でした。
イベント、テーマパーク、店舗など刺激がいっぱいの都会は、当時何も無かった地元・静岡から眺めると、どうしても行ってみたい場所でもありました。

県外へ行かせてもらえる同級生を羨ましいと思いつつも、漫画のような母の提案で「まあ毎月行けるならいいか…」と諦めがつきました。
我が母ながら、娘のコントールの仕方を、よく心得ていたと思います。(普段はものすごい天然ですが…。)


今なら情報は取り放題!選択肢を広く

当時と比べると、今の時代は学校、職業、働き方、住み方などの情報は、自由に簡単に手に入れることができます。

ただ、それだけ選択肢が多いと、逆にどうしたらいいのか迷ってしまう側面もありますよね。

私も、よく後輩たちの進路や仕事の相談を受けます。
その相談の多くは、自分の得た情報や自分の意志は新しい時代へ向いてても、親の意向や希望は過去の時代に価値があったものへ向けられており、両者の板挟みとなっているケースが多いように感じます。

私は、進路に関しては親の言う通りに進んでしまった人間です。
ですが今の時代は、私が進路を決めた90年代とは大きく異なる「激動の時代」です。
親の生きてきた時代から、いくつもの大きなパラダイムシフトが起きつつあり、世界や国や社会が大きく変わっています。

そんな時代に、過去の時代と同じような価値観、選択肢で生きることは、非常に危険です。

ぜひ自分に必要な情報、体験を積極的に得て、自分の選択肢を広げ、自分の意志で進路を定めていただければと思います。