自分の仕事力は"ギフト"である

自分の仕事力は”ギフト”である

先週末に、同居している祖母が急逝しました。
88歳、米寿を迎えたばかりでした。

祖母は2年ほど前から、悪性リンパ腫という不治の病を抱えていました。
ですがほとんど病気の影響はなく、本人も旅行や老人会、趣味の裁縫を楽しんで日々を過ごしていました。
ただ年明けの骨折と手術、ここ最近の冷え込みもあり、数日間で急速に症状が悪化してしまいました。


躾に厳しくも、惜しみなく与えてくれた祖母

祖母とのお別れで痛感したのは、私が今仕事にしている絵を描く技術は、まさに祖母の力で育ててもらったものだ、ということです。

難病を抱えて病気がちだった母に代わり、幼少時代の私を育ててくれたのは祖母でした。

ですので、一般的な「優しいおばあちゃん」のイメージというものが、私にはまったくありません。
思い返すと、家事はきっちり手伝わなければご飯は抜き、洗濯物の干し方が整っていないとやり直させ、帰宅時間が遅いと玄関で仁王立ちして待っていたり、ちょっとでも身なりが悪いと叱るという、ひたすら躾に厳しかった祖母の姿ばかりが思い浮かびます。
祖母の怒った姿があまりに怖くて、舐めていた飴を喉に詰まらせた思い出もあります(笑)

ですが、絵が大好きな私を東京の美術館まで何度も連れて行ってくれましたし、美術展の画集などもたくさん買ってきてくれました。
(今でも我が家の本棚には、大量の画集が並んでいます。)

また裁縫が大好きで、洋服屋さんに立ち寄っては、服を買うのではなく「どうやって縫っているのか」「今の流行は何なのか」をひたすらチェックするという、創作意欲あふれる祖母でした。

祖父も美術展に行っては、「どうやって描いているのか」をジッと絵を見て考察する人だったので、似た者夫婦だったのではないかと思います。

私の絵を描く力は、祖父母に育ててもらったものでもあります。


自分の能力を社会に還元できるか

祖母の遺品を整理しながら、自分の仕事に使う能力は、決して自分だけで育てたものではないということを噛みしめました。

自分の力だと信じている「能力」や「スキル」は、実は祖母も含めたおびただしい数の人たちによって与えてもらったもので、私がまるで自分のもののように使うことは、ひどく無知で傲慢だと感じます。

自分がこうやって組織から独立し生活できている生活は、幸運にも私に与えられたギフトです。
世界で起きる様々な事象の波目で、たまたま私のところに流れてきたものです。

ギフトとして与えられた力は、自分が誰かに与えられたのと同じように、世の中へ還元してくことが、仕事の本質の1つではないかと思います。


“ギフト”を次の人へ渡すために

私が受け取ったギフトは、どんどん次の人たちへ渡すために、ブログやSNS、講演、講座などで、自分の情報をなるべくオープンにするように心がけています。
独立までの経緯、使ってよかったツール、働き方、人とのつながりなど、様々な情報を発信し続けています。

それを受け取った方達が、さらにそれを次の人たちに渡し、バトンが繋がるたびにより良いものになってくことが、今のネットワークで繋がった世界では大きな力となります。

「このアイデアは私が思いついたものだから、利益を独占したい」
「この技術は自分が会得したのだから、誰にも渡さない」
「この力は俺のものだから、俺のためだけに使う」

こういった思考は、ギフトのバトンを途中で止めます。
ギフト(能力、お金、人脈)は、次に流すことができる人のところへ集中します。途中で流れを止める人のところには、自然と流れてこなくなります。

何より、思いついた「アイデア」も身につけた「力」も、本当にあなた”だけ”の力で得たものなのでしょうか?
それを思いつくまでに、何人の人に助けてもらったでしょうか?
そもそもあなたがここまで生きてくるまでに、どれだけの見えない力が働いているでしょうか?

それをふと考えた時、「自分だけがこれを握りしめている場合じゃない!」という気持ちに至るのではないかと思います。

私が祖母を始め、多くの人から与えてもらった贈り物を、これからの自分の仕事や活動を通して、次の人たちに渡していきたいと思います。